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徒歩々新聞ニュース ◇ 年度末 あゝ年度末 年度末…………
いざ鎌倉街道・下道[第4日]#5

2022.12.04.sun
 旧鎌倉街道・下道のハイライトと言って過言ではないでしょう。朝夷奈峠を越えて鎌倉を目指します。
いざ鎌倉街道・下道[第4日]#5_f0379138_19471930.jpg
第333回・神奈川徒歩々旅
街道歩きの旅
いざ鎌倉街道・下道[第4日]#5



 旧鎌倉街道・下道のハイライトと言って過言ではないでしょう。朝夷奈峠を越えて鎌倉を目指します。
01情報
 国指定史跡、朝夷奈切通です。古道を感じましょう!
 ここまで晴れていたのですが空は雲に覆われました。でも、切通しは光のコントラストがなくなり、こんな天気の方が撮影しやすいのでラッキーです。
02情報
 古道を感じようと思えばこれですもの。頭上を横浜横須賀道路が横切ります。
03情報
 気を取り直して……
04情報
 するとすぐにクライマックスを迎えます。小切通です。朝夷奈峠に2つある顕著な切通しでも私はこちらが好きです。
05情報 3代執権である北条泰時の時代、1241年に鎌倉と、東京湾のさらに入江となっている良港、六浦津(むつらつ)をつなぐ新たな道として開削を始めた朝夷奈切通。鎌倉七口の一つです。鎌倉には鎌倉七口をはじめ多くの切り通しがありますが、朝夷奈切通はもっとも大規模なのではないでしょうか。そしてよく残っている。
06情報
 切り通しが完成すると、泰時はこの土地を弟の実泰(金沢文庫の実時の父、菊地凛子の息子)に与え、4代に渡って金沢北条として金沢を発展させたのだそうです。
 軍事的にも重要な道でしたが、塩の産地と鎌倉を結ぶ塩の道でもあったようです。
07情報
 北条滅亡後も六浦の港は海上交通の要衝として栄えたそうです。ここが古東海道であったとする説もあるようです。また、江戸時代には金沢八景の景勝地と鎌倉を結ぶ一大観光ルートとして大繁栄したことでしょう。
08情報
 分岐です。「左 熊野神社」「右 かまくら道」の道標があります。
09情報
 まずは左へ。
10情報
 熊野神社です。
11情報
 鎌倉の鬼門に頼朝が熊野三社を勧請したのがはじまりで、朝夷奈切通開削の際には北条泰時によって社殿が造営されたようです。
 現在の社殿、こちら拝殿は1989年……
12情報
 拝殿の裏手、階段であがる本殿は1978年に造営されたものです。
13情報
 本殿前からの眺めです。ああ、切通しを撮影するのに適した天気も、こんな景色を前にするとうらめしい……
 境内は国指定史跡、朝夷奈切通の指定範囲です。
* * * 実は旧鎌倉街道・下道の旅は数年前から計画していたのですが、朝夷奈切通が台風被害で長らく閉鎖されていたのでした。5年ぶりの朝夷奈切通ですが、そんな影響が少なからず見られました。
 さて、春から鎌倉を目指して歩きつないだこの旅も、いよいよ鎌倉へと入っていきます。


行程:→小切通→熊野神社→〈つづく〉
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# by akrk0911 | 2022-12-16 07:00 | 街道歩きの旅 | Comments(2)
徒歩々新聞ニュース ◇ 年度末 あゝ年度末 年度末…………
いざ鎌倉街道・下道[第4日]#4

2022.12.04.sun
 進むにつれどんどん鎌倉時代の香りが濃くなる旧鎌倉街道。2022年にもっとも知名度が爆上がりした武将ゆかりの地を歩きます。
いざ鎌倉街道・下道[第4日]#4_f0379138_15295294.jpg
第333回・神奈川徒歩々旅
街道歩きの旅
いざ鎌倉街道・下道[第4日]#4



 進むにつれどんどん鎌倉時代の香りが濃くなる旧鎌倉街道。2022年にもっとも知名度が爆上がりした武将ゆかりの地を歩きます。
01情報
 現在は金沢街道と呼ばれ、かつては六浦道(むつらみち)と呼ばれた道。旧鎌倉街道は各地で色々な名で親しまれている道をつないで鎌倉へとつづきます。
02情報
 てなことを言いながら全然関係ない寄り道をします。街道からはずれたこちらは大道(だいどう)中学校。門の向こう側、左の崖に横浜市指定天然記念物の説明板があるのですが学校の敷地には入れません。なんで外に設置しないかなあ?
03情報
 200万年から160万年前に堆積した上総層群の野島層群に属する地層で、大量の貝の化石が産出されたそうです。多くの貝はオオツキカイモドキ(カマクラカイモドキ)で、その他10種類以上の貝が見られるそうです。これらの貝は水深200から500mほどに棲息していたものと考えられ、亜深海性の貝の生態を知る貴重な資料であることから亜深海性貝類の産状を示す野島層の露頭として横浜市の天然記念物に指定されています。
 この写真は門の手前。ここも天然記念物の指定範囲かはわかりません。
04情報 金沢街道に戻ります。風化してほとんど形は判りませんがこちらは鼻欠地蔵。造られた年代もわからないそうです。
 武蔵国と相模国の境(鼻欠地蔵の東2mほどのところが国境)だった場所です。ここからは北方向へ分かれ、釜利谷を経て能見堂へ至る道や、本郷・大船方面へ至る道に通じる交通の要衝でもあったようです。釜利谷方面へは畠山親子ゆかりの六郎ヶ谷を通る白山道かな? 大船方面へは六国峠へ至る道があったのかな?
05情報
 ここも亜深海性貝類の産状を示す野島層の露頭と同じ地層じゃないのかなあ?
06情報
 右が旧道です。
07情報
 左上に見えるのは金沢街道。どうせすぐにまた合流するんでしょ? とお思いでしょう。
08情報
 正解です。このまま道なりに行けばすぐに合流です。でもその前に、この階段をのぼって金沢街道を来た方向に少し戻ります。すると……
09情報
 いまやすっかり上総介=佐藤浩市となった感のある上総介広常。こちらは上総介塔と呼ばれ、上総介広常の供養塔と伝わるものです。
10情報
 鎌倉幕府成立の最大の功労者の一人ですよね。石橋山の戦いで敗れ、真鶴から房総半島へ逃れた頼朝が手にした最大の勢力。その最大の力が仇となるわけで……
 謀反の疑いをかけられ頼朝の命により梶原景時の手で殺害された上総介広常。のちに謀反などなかったことを悟った頼朝はとても悔やんだそうです。あとの祭りだよ、大泉!
11情報
 元の道に戻って元々の道にもどります……
12情報
 ではなくて今度は交差します。進むのは「←朝夷奈切通」
13情報
 さあ、いよいよ鎌倉入りです。各々方、いざ!
* * * いまや時の人となった上総介広常。いやいや昔の人だし……。このあとも上総介に関する史跡が登場します。そして旅の舞台は相模国鎌倉へ。


行程:→大道中学校→鼻欠地蔵→上総介塔→〈つづく〉
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# by akrk0911 | 2022-12-15 07:00 | 街道歩きの旅 | Comments(2)
徒歩々新聞ニュース ◇ 年度末 あゝ年度末 年度末…………
いざ鎌倉街道・下道[第4日]#3

2022.12.04.sun
 なかなか進みません。このあとも変わらず、なかなか進みません。5年前にも同じところを歩いているのですが、今回は少し予習をしてきているので初訪問の史跡もあります。
いざ鎌倉街道・下道[第4日]#3_f0379138_13280767.jpg
第333回・神奈川徒歩々旅
街道歩きの旅
いざ鎌倉街道・下道[第4日]#3



 なかなか進みません。このあとも変わらず、なかなか進みません。5年前にも同じところを歩いているのですが、今回は少し予習をしてきているので初訪問の史跡もあります。
01情報
 標識にも「鎌倉」なんて文字が見られるようになりました。でも、「逗子」方面へ進みます……
02情報
 この先少し坂になっていますが平潟湾に注ぐ侍従川に架かる橋で、京急の六浦駅はこの先です。旧街道は手前、床屋さんの角を右折します。
03情報
 クルマがひっきりなしに行き交う大通りよりいいですね。
04情報
 でも、今度は侍従川を渡ってすぐ、見えているCOCO'Sの前で元の道に戻ります。
05情報
 イチョウの木は大道(だいどう)小学校。
06情報
 ローソン横浜大道二丁目店に建つ碑は小泉又次郎生誕生地碑
 小泉純一郎元内閣総理大臣の祖父である小泉又次郎は、横須賀市会議員、横須賀市会議長、神奈川県会議員、横須賀市長を歴任し、衆院議員当選12回の元逓信大臣。まさか孫が郵政省をぶっ壊すとはね。
07情報
 小泉又次郎誕生地碑の少し先を左折して寄り道します。地元の人しか歩かない道を抜き足で歩き……
08情報
 地元の人も行かないんじゃないかってところを差し足(落葉が大きな音を立てて万事休す)で歩いてたどり着くのは初訪問の史跡……
 常福寺旧跡です。1147年に開山されたといわれる常福寺。1271年には称名寺の末寺となったのですが、北条の滅亡により常福寺も荒廃し廃寺となったようです。鎌倉4代公方、足利持氏の祈願所とされた寺だそうです。
 門前に関所を設け通行料を徴収し、称名寺造営の資金に宛てたのだとか。
 本尊の阿弥陀三尊像は近くの宝樹院に移されています。
10情報
 で、こちらが宝樹院。常福寺の阿弥陀三尊像を納めるお寺です。
11情報
 常福寺から移された木造 阿弥陀三尊像はこの阿弥陀堂に安置されており、県の重要文化財に指定されています。
13情報
 再び小泉又次郎の登場です。宝樹院は小泉家の菩提寺。又次郎の代まで大道に居を構えていた縁のようです。こちらは小泉家の墓。右端が又次郎で左端が元首相の父であり又次郎の娘婿の小泉純也の墓。純也は防衛庁長官を務めた人物。小泉元首相は父親にそっくりなんですよね。
12情報 小泉純一郎元首相が首相就任を記念して手植えしたという木です。
09情報
 バスも「いざ、鎌倉」。
* * * ちょっと毛色の違う史跡もありますが古くからの街道沿いにはそれなりの人物を輩出したりするものなのでしょうか? だいぶこじつけ……


行程:→小泉又次郎誕生地碑→常福寺旧跡→宝樹院→〈つづく〉
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徒歩々新聞ニュース ◇ 年度末 あゝ年度末 年度末…………
いざ鎌倉街道・下道[第4日]#2

2022.12.04.sun
 金沢といえば北条氏ですが、千葉氏もまた金沢に大きな足跡を残しています。千葉氏ゆかりの地を巡ります。
いざ鎌倉街道・下道[第4日]#2_f0379138_12062255.jpg
第333回・神奈川徒歩々旅
街道歩きの旅
いざ鎌倉街道・下道[第4日]#2



 金沢といえば北条氏ですが、千葉氏もまた金沢に大きな足跡を残しています。千葉氏ゆかりの地を巡ります。
01情報
 六浦橋交差点を右折して、京急のガードをくぐれば県道23号です。
02情報
 でも、右折してすぐに脇道に入ります。こちらが旧道のようです。
03情報
 でもでも、すぐに県道23号に合流します。すぐ合流しちゃう……
04情報
 でもでもでも、合流して少し県道23号を六浦橋交差点方面に戻り高台にのぼります。素晴らしい眺めです。
05情報
 そんな高台には遺跡があります。上行寺東遺跡です。1984年に発見された鎌倉時代の遺跡で、43のやぐら、6基の建物跡、200体以上の人骨が出土したそうです。保存の運動も起こったそうですが、宅地開発されてしまったそうです。
 先日訪れた龍華寺の元となる瀬戸神社の別当寺、頼朝と文覚によって建立された浄願寺はこの地にあったと推測されているそうです。
06情報
 マンションの目の前……
07情報
 眼下にはこれから訪れる上行寺がよく見えます。きれいな紅葉、そしてきれいな空。
08情報
 上行寺です。この山門は茅葺きだったのですが、2022年に銅葺きに葺き替えられました。たまたま改修中にクルマで前を通ったのですが、言葉を失いました。でも、仕方ないですよね。茅葺きは維持管理が大変ですから。
09情報
 上行寺は元々鎌倉時代の初期に創建された真言宗の金勝寺というお寺。1254年に房総から海を渡り鎌倉へ向かう日蓮は、船中にて千葉氏の重臣、富木(千葉)胤継(ときたねつぐ)と仏法について語り合ったのだそうです。胤継は日蓮に帰依、自分の祈願寺であった金勝寺を日蓮宗に改宗し上行寺と改称したのだそうです。
11情報 船中で日蓮と胤継が語りあったことから、船中問答の霊場と言われているそうです。また、その船を繋いだ船繋ぎの松と呼ばれる松の木があったそうですが、1947年に枯れてしまったとのことです。
 開基は日祐。胤継の父である富木(千葉)胤貞の猶子。元々は千葉常胤の子孫である千葉宗家、あるいは宗家に近い者という説があるそうです。千葉常胤といえば「鎌倉殿の13人」では岡本信人が演じた、ちょっととぼけた感じの御家人。源頼朝に鎌倉を拠点にすることを勧めたといわれている人物です。上行寺所蔵の板曼荼羅 日祐筆は横浜市指定有形文化財です。
10情報
 開山は日荷。あるとき日荷は、夢のお告げで称名寺の仁王像を身延山へ持ってくるように命じられたのだそうです。称名寺で談判するも却下。しかし、称名寺の住職より、碁で勝ったら譲ると言われ勝負したところ日荷の勝利となり、日荷は仁王像を背負い身延山に納めたのだそうです。昔の人は力持ちだったんですね……
 境内には墓があり、傍らには大きな日荷上人お手植の榧があります。
12情報 こちらの宝篋印塔は横浜市指定有形文化財の宝篋印塔(壬辰銘)。紀年部分が特に不明瞭なため確かなことはわからないのですが、銘文から南北朝時代のものと考えられているそうです。「牛馬六畜のためにも供養する」という銘文から、誰か特定の人を供養するための塔ではなく、交通の要衝だった六浦に関わるものであるようです。
13情報
 山門を出て県道23号を鎌倉方面へ行き、コンビニ手前で右折した少し奥まったこちらは嶺松寺址と千葉氏ゆかりの地として横浜市の地域史跡に登録されています。所有者は上行寺です。
 嶺松寺は瀬戸神社の社領にあったお寺。明治期に廃寺となったそうです。千葉氏は代々瀬戸神社の神主を務めた家系。胤継や日祐の千葉氏です。
* * * 房総半島と鎌倉を結ぶ金沢六浦。その歴史を垣間見ました。金沢はやはりかなりの歴史の街です。
 なんだか文字だらけになってしまいました。斜めに読んでください。


行程:→上行寺東遺跡→上行寺→嶺松寺址と千葉氏ゆかりの地→〈つづく〉
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# by akrk0911 | 2022-12-13 07:00 | 街道歩きの旅 | Comments(0)
徒歩々新聞ニュース ◇ 年度末 あゝ年度末 年度末…………
いざ鎌倉街道・下道[第4日]#1

2022.12.04.sun
 鎌倉ではあの人もこの人も幕府に討たれてしまいました。もたもたして一向に鎌倉に着かない、「全部オレのせい」です。これ以上人を死なせてはいけない。いざ鎌倉、4日目です。
いざ鎌倉街道・下道[第4日]#1_f0379138_20532903.jpg
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いざ鎌倉街道・下道[第4日]#1



 鎌倉ではあの人もこの人も幕府に討たれてしまいました。もたもたして一向に鎌倉に着かない、「全部オレのせい」です。これ以上人を死なせてはいけない。いざ鎌倉、4日目です。
01情報
 さて、現実の世界です。旧鎌倉街道は高架の金沢八景駅から見て、駅前を左から右へと通っています。
02情報 いざ鎌倉、出発です。
05情報
 駅からすぐ、京急の小さなゲートをくぐった辺りは六浦藩陣屋跡。江戸時代、六浦藩の役所にあたる藩庁だった場所です。下野国皆川藩の4代藩主、米倉忠仰の代に金沢に移り陣屋を構えたのだそうです。
 特に史跡を示すものはなく退散です。
03情報
 駅へと通じる裏道は人通りが多くなかなか写真を撮れません。
04情報
 まあ、すぐに国道16号に合流するので1枚撮れたのでよしとしましょう。
06情報
 国道沿いのこちらは泥牛庵。山門が気になっていたのですが初訪問です。臨済宗円覚寺派のお寺で創建は鎌倉時代末期。開基は14代執権の北条高時。
07情報
 13歳で執権の座についた高時は、10年後に北条実時の孫、貞顕に執権の座を譲り出家したそうです。
 高時の法名は「日輪寺殿」。出家先の日輪寺に由来するものだそうです。高時の護持仏である観世音菩薩像を本尊に納めたこちらの泥牛庵の山号は「吼月山」。月と日輪で陰と陽を表しているのではとのことです。
08情報
 泥牛庵の名前の由来は、海に近い六浦の潮が引いたあとの泥沼のさま、菅原道真の座像が泥牛庵にあることからや、開山者の円覚寺第十一世、南山士雲禅師による喩えに、煩悩を泥、仏を牛とするものがあるようで、それに因んでいるのでは? とのことです。
 士雲禅師は、煩悩を泥に、仏を牛に喩えます。牛が泥にまみれ目的を成すために一生懸命に働く姿はまさに私たちの人生の歩みそのものです。華葉が泥中にあって泥に染まらぬように、煩悩にとらわれない境地で生活する人の歩んだ後には、悟りの象徴、蓮華の花が咲く……
[泥牛庵ホームページより]
 また、泥で作った牛をお供えし、ムチ打ちをしてその年の豊作を祈願する風習が当時の農民にはあったそうです
09情報
 国道16号を反対側に渡って少し奥へ入ったこちらは金龍院。以前来たときは夕方で門が閉まっていたのですが、今回は開いていました。
10情報
 美しい境内です。
11情報
 金龍院は建長寺派のお寺。こちらは「一味散々」後の創建。開山者は方崖元圭(ほうがいげんけい)。木造 方崖元圭坐像は県指定重要文化財です。
12情報
 本堂裏にある丘は九覧亭と呼ばれ、景勝地金沢にあって随一の眺望を誇り、江戸時代には観光客で賑わったそうです。こちらは横浜市登録地域史跡です。
 楽しみにして来たのですが「九覧亭へ登る方は、必ず庫裏へ連絡して下さい」とのこと。時間に余裕がないことと、オッサン一人でお寺の人の手を煩わせるのもなんだなと諦めました。
13情報
 同じく本堂裏には飛石と呼ばれる石があります。この石の上に伊豆の三島明神が飛んできたという伝説があり、それが瀬戸神社の起源であるともいわれているそうです。頼朝パワーでしょうか? こちらも横浜市の地域史跡に登録されています。また、称名寺の美女石、姥石。琵琶島の福石と共に金沢四石に数えられています。
 元は丘の上にあったそうですが、1812年の地震で現在地に落下。その際に形が崩れてしまったそうですが、鳶に形が似ていることから鳶石であるという説もあるそうです。
* * * 泥牛庵ではちょうど法事が終わったばかりで、住職よりあがってお参りしてくださいとお声がけいただきました。執権北条氏にまつわる寺社はいったいいくつあるのでしょう?
 金龍院は残念でした。私のような一人旅には少々敷居の高い名所でした。


行程:金沢八景駅→六浦藩陣屋跡→泥牛庵→金龍院→〈つづく〉
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We believe  いつもスマホの「フォロー中のブログの新着記事一覧」から皆さんのブログへとお邪魔しているのですが、最近、フォロー中にも関わらず、一部の方の新着記事が反映されていないという状態がつづいています。エキサイトブログには不具合の報告をしていますが返答はありません。もしかしたら端末の問題なのかもしれません。
 そんなわけで、新着記事に気づかないこともあるかもしれません。ご了承くださいますようお願いいたします。
# by akrk0911 | 2022-12-12 07:00 | 街道歩きの旅 | Comments(0)