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2018.10.06.sat 第160回・神奈川徒歩々旅 藤沢市 大庭・遠藤・御所見地区の旅 #3 大庭城に攻め入ります。とは言っても大庭城に関しての明らかな記録はなく、平安末期に大庭氏の拠点であったと伝えられているそうです。 大庭城址は現在、大庭城址公園として整備されています。 勝手に平城(ひらじろ)だと思い込んでいましたが、なまった足腰には少々堪える平山城(ひらやまじろ)です。 大庭氏が興った平安末期から時代を下った室町中期、築城の名手、太田道灌によって本格的な築城がなされたようです。 その後上杉朝良の時代に北条早雲に攻略され(舟地蔵の一件ですね)小田原北条氏の支配下となり、豊臣秀吉に小田原北条氏が滅ぼされ大庭城は廃城、だそうです。 ここは掘立柱建物址(ほったてばしらたてものし)。1968年の調査で高床式の建物の柱の穴が確認されたそうです。 いくつかはっきりとわかる空堀が見られました。空堀を見つけるとテンションが上がります。 これは城の構造なのか公園整備の際に造られたものなのかわかりません。土塁であると思い込ませてもらいます。 この台地からは縄文、弥生、古墳、奈良、平安など、各時代の遺物が広範囲で発掘されているそうです。 弥生時代の人々が引地川を利用した水田を開いたとのこと。ついさっき歩いたあの田んぼのことでしょうか。そう考えると感動します。 なんの工事かと思ったら遺跡の発掘調査中でした。大庭城に関する新たな発見があるといいのですが。 大庭城址周辺には城に関する地名が多く残され、公園にもその名がつけられています。 こちらは大庭裏門公園。大庭城の裏門がこの辺りにあったそうでこの名前は直球すぎます。この公園、中には入れません。覗き窓から野鳥を観察する公園のようです。 つづいては水が流れる二番構公園。 「構」とは、本丸を守るように堀や土塁を備えた武士などの屋敷のことだそうで、裏門に隣接した場所を二番構と呼んだそうです。 大庭丸山公園。丸山と城を結びつける根拠の知識はないのですが、塚とか築山のようなことでしょうか。 道路を挟んだ向かいの小学校では運動会の真っ最中。あちらこちらで運動会が賑々しく行われていました。 駒寄公園。大庭城に入城する際、二番構の前で馬をつなぎ止めた場所だそうです。馬の駐車場ですよね。 駒寄公園の前に石川一の坪公園にも寄ったのですが写真を消去してしまいました。 一の坪(一ノ坪・市ノ坪)とは、古代律令制度の「班田のための条理制区画」の呼び名だそうです。難しい。 さて、大庭城関連以外の文化財も見学しました。大庭丸山公園から石川一の坪公園へ行く途中(要回り道)にある「寛文12年庚申供養塔」は藤沢市指定重要有形民俗文化財です。「南無阿弥陀仏」の文字が彫られているそうですが、ほとんど読めませんでした。 * * * 城関連の地名も多く残る大庭城。確かな記録や大規模な発掘がされていないために少し損している城跡、という感じがしました。 現在発掘調査中の対象が城跡なのかどうかはわかりませんが、なんらかの遺構がたくさん見つかるといいなあと思います。 行程:→大庭城址公園→大庭裏門公園→二番構公園→大庭丸山公園→北の谷共同墓地(寛文12年庚申供養塔)→石川一の坪公園→駒寄公園→〈つづく〉 لحرب We believe
by akrk0911
| 2018-10-09 07:00
| 湘南の旅
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